「抗う者」としてのエレンとガッツ
エレン・イェーガーとガッツ。二人は驚くほど似ている。理不尽な運命に怒り、圧倒的な力を持つ存在に立ち向かい、仲間を得て、仲間を失い、それでも前に進む。エレンにとっての巨人がガッツにとっての使徒であり、エレンにとっての壁がガッツにとっての蝕だ。
両者の最大の共通点は「怒り」を原動力にしていることだ。悲しみでも正義でもなく、純粋な怒り。世界がこんなはずじゃないという怒り。自分の力ではどうにもならない現実への怒り。この「怒りのエネルギー」がダークファンタジーの主人公を動かす燃料であり、読者の感情を牽引する力になっている。
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「運命」への態度——受け入れるか、抗い続けるか
ベルセルクのガッツは徹底的に運命に抗う。蝕で烙印を刻まれ、毎夜悪霊に襲われ、仲間を失い続けても、ガッツは「それでも」剣を振る。運命を受け入れることは死を意味する。だから抗い続ける。ベルセルクは「抗い続けることそのもの」に価値を見出す物語だ。
エレンの場合はより複雑だ。進撃の巨人の能力で未来を知ったエレンは、ある意味で運命を「受け入れた」。自分が地鳴らしを起こすことを知り、それを止めなかった。しかしそれは受動的な諦めではなく、「この運命を選ぶ」という能動的な決断だった。抗うのではなく「選び取る」。ガッツとエレンの運命への態度の違いは、二つの作品の結末の方向性の違いに直結している。
「仲間」の描き方——鷹の団と調査兵団
ガッツにとっての鷹の団、エレンにとっての調査兵団(特に104期生)。どちらも主人公が初めて「居場所」を見つけた集団だ。そしてどちらも、その居場所が崩壊する悲劇を経験する。蝕で鷹の団を失うガッツ、地鳴らしで仲間と敵対するエレン。
興味深いのは、崩壊の原因だ。鷹の団の崩壊はグリフィスの裏切りという「外部からの破壊」だった。104期の分裂はエレン自身の選択による「内側からの崩壊」だ。ガッツは被害者だったが、エレンは加害者でもあった。この差が、二人のキャラクターの本質的な違いを浮き彫りにする。ガッツは「裏切られた者」であり、エレンは「裏切らざるを得なかった者」だ。
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「巨人」と「使徒」——人間を超えた存在の描き方
進撃の巨人における巨人と、ベルセルクにおける使徒。どちらも人間を超えた力を持つ存在であり、主人公が立ち向かう脅威だ。しかし両作品とも、これらの存在が「元は人間だった」ことが重要だ。巨人はエルディア人が変質した姿であり、使徒は人間がベヘリットで転生した姿だ。
「敵は元人間」という設定は、戦いに倫理的な複雑さを加える。巨人を殺すことは人間を殺すことであり、使徒を倒すことはかつての人間を殺すことだ。両作品がダークファンタジーと呼ばれる所以は、単に残酷だからではなく、暴力に倫理的な重みが伴うからだ。敵を倒しても爽快感より虚無感が残る。この後味の悪さこそが、両作品を「大人の漫画」にしている。
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二つの暗黒叙事詩が残したもの
ベルセルクは三浦建太郎の急逝により未完となった。進撃の巨人は諫山創が完結させた。完結の有無という決定的な違いはあるが、両作品が日本漫画に残した影響は計り知れない。「ダークファンタジーでここまでの深みが出せる」ことを証明した二作品は、後続の作家に巨大な影響を与え続けている。
進撃の巨人は間違いなくベルセルクの影響を受けている。諫山創自身がベルセルクを愛読していたことは公言されている。壁の中の閉塞感、巨人の不気味さ、仲間の死の容赦のなさ。しかし進撃の巨人はベルセルクの模倣ではない。ベルセルクの「個人の意志」に対し、進撃の巨人は「集団と個人の相克」を描いた。師の志を受け継ぎながら、独自の境地を開拓した。二つの暗黒叙事詩は、日本漫画の最高峰として語り継がれるだろう。


