「敵の日常」から始まる衝撃
単行本22巻(91話)から始まるマーレ編。ページを開いた読者は面食らったはずだ。そこにはエレンもミカサもリヴァイもいない。代わりに描かれるのは、マーレという国で暮らす「戦士候補生」たちの日常。ガビ、ファルコ、コルト。聞いたこともない名前の少年少女たちが、中東連合との戦争を戦っている。
これまで70話以上かけて築いてきた登場人物と世界観を、一旦すべて脇に置く。この構成上の賭けは、並大抵の覚悟ではできない。連載漫画でこれをやれば読者が離れるリスクがある。しかし諫山創はそのリスクを取った。
そして、この賭けは見事に成功した。マーレ編を経ることで、進撃の巨人は「巨人と人類の戦い」から「すべての陣営にそれぞれの正義がある戦争」の物語へと変貌した。漫画の歴史を見渡しても、ここまで大胆な視点転換を中盤で成功させた作品は稀だ。
特に巧みなのは、マーレ編の冒頭が「戦争」から始まることだ。パラディ島側の平和な日常ではなく、マーレの戦場。これによって読者は「壁の外の世界は壁の中より平和だった」という前提すら崩される。どこにいても人間は戦っている。
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ライナーの贖罪——「敵」が「人間」に変わる瞬間
マーレ編の真の主役はライナー・ブラウンだ。壁を破壊し、人類に巨人を送り込んだ「鎧の巨人」。パラディ島編ではエレンたちの敵だった男が、マーレ編では一人の苦悩する人間として描かれる。
ライナーは壁を破壊した時、子供だった。マーレから「名誉マーレ人」の称号を得るために、エルディア人の戦士候補生として志願し、パラディ島に送り込まれた。母親を楽にしたかった。それだけの理由で、25万人の命が失われた。
そしてパラディ島で過ごした3年間で、ライナーは「敵」が「人間」であることを知ってしまった。エレンと訓練兵として過ごした日々。仲間と笑い合った日々。それなのに自分はその仲間を殺す任務を背負っている。精神が二つに分裂するのは当然だった。
ライナーの苦悩を描くことで、諫山創は読者に「加害者の痛み」を見せた。被害者の痛みは想像しやすい。しかし加害者もまた、別の文脈では被害者だった。この入れ子構造が、マーレ編の核心だ。
ガビ・ブラウン——「もう一人のエレン」
マーレ編で登場するガビ・ブラウンは、初登場時から賛否が分かれたキャラクターだ。パラディ島の「悪魔」を憎み、自分たちエルディア人は「良いエルディア人」だから許されるべきだと信じている。その純粋な敵意は、かつてのエレンと鏡写しだ。
「巨人を全部殺してやる」と叫んだエレンと、「島の悪魔を全部殺してやる」と叫ぶガビ。同じ構造を持つ二人のキャラクターを、敵味方に配置する。この対比が見事だ。
ガビがサシャを射殺する場面は、読者に激しい怒りを引き起こした。しかし冷静に考えれば、ガビの行動は「仲間を殺した敵を殺す」という、エレンと同じ論理だ。読者がガビに怒りを感じるのは、パラディ島側に感情移入しているからに過ぎない。諫山創はこの怒りを利用して、読者自身の偏りを自覚させる。
ガビが「パラディ島の人々も普通の人間だ」と気づく過程は、読者が壁の外の人々を理解する過程と重なる。ガビの成長物語は、そのまま「敵を人間として見る」ことの物語だ。
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レベリオ収容区襲撃——エレンが「侵略者」になった日
マーレ編の最大のクライマックスは、エレンによるレベリオ収容区への襲撃だ。宣戦布告の演説中に巨人化したエレンが、マーレの軍人も民間人も関係なく踏み潰す。建物を破壊し、人々が逃げ惑う。
この場面は、1話のシガンシナ区陥落と完全に対になっている。超大型巨人が壁を蹴破り、巨人が人々を食らったあの日。エレンの母カルラが死んだあの日。同じことをエレンが「やる側」になった。かつての被害者が加害者に転じる。この反転構造が進撃の巨人の凄みだ。
しかも恐ろしいことに、エレンの表情は冷徹そのものだ。かつて母を失って泣き叫んだ少年が、同じような光景を自ら作り出しながら、一切の感情を見せない。この変貌が、マーレ編を経たからこそ重みを持つ。ライナーやガビの日常を見た後だからこそ、踏み潰される側にも人生があったことが分かる。
読者はここで究極の選択を迫られる。パラディ島を守るためにはマーレを叩く必要がある。しかしマーレの人々にも家族がいて、夢があって、日常がある。どちらの味方もできない。どちらも正しく、どちらも間違っている。
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マーレ編がなければ進撃の巨人は「名作」止まりだった
もしマーレ編がなかったら、進撃の巨人はどんな作品になっていたか。おそらく「壁の中の人類が外敵と戦い、自由を勝ち取る物語」として完結していただろう。それでも面白い作品にはなっていたはずだ。しかし「傑作」にはならなかった。
マーレ編が作品にもたらしたのは「視点の複数化」だ。どの陣営にも正義があり、どの陣営にも罪がある。善悪の境界線が消え、残るのは「それぞれの立場からの最善」だけ。
この構造は現実の国際紛争と同じだ。どの国も自国の安全を守りたい。しかし自国の安全を守る行為が、他国の脅威になる。安全保障のジレンマ。進撃の巨人はファンタジーの設定を使って、このリアルな問題を描き切った。
マーレ編を経ることで、地鳴らしの恐怖は倍増した。踏み潰される側の顔が見えるからだ。名前を知っている人々が、エレンの足元で死んでいく。もしマーレ編で彼らの日常を見ていなかったら、地鳴らしは「スペクタクルなクライマックス」でしかなかっただろう。しかしマーレ編があるからこそ、地鳴らしは「取り返しのつかない悲劇」として読者の心に刻まれた。
全34巻139話の中で、マーレ編は作品の分水嶺だ。ここを境に進撃の巨人は、少年漫画の枠を超えた。


