ミカサの選択——「愛する人を殺す」という矛盾
最終話でミカサはエレンの首を斬る。世界を滅ぼそうとする男を止めるために、最も愛する人を自らの手で殺す。そして切り離されたエレンの首に口づけを交わす。このシーンの衝撃は、グロテスクさと切なさが同時に押し寄せるものだった。
「なぜミカサなのか」。エレンを止められる戦闘力を持つ者はリヴァイやアルミンもいた。しかし始祖ユミルが2000年間待ち続けたのは、「愛する者を自らの意志で手放す」ことができる存在だった。ユミルにはそれができなかった。フリッツ王を愛し、死んでもなお従い続けた。ミカサはユミルにできなかったことを実行した。
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始祖ユミルとミカサ——2000年越しの「解放」
始祖ユミルは2000年間、「道」の中で巨人を作り続けた。王の命令に従い続けた。なぜか。愛していたからだ。フリッツ王という、自分を奴隷として扱い、舌を抜き、子を産ませた男を、ユミルは愛してしまった。この歪んだ愛が巨人の呪いの根源だった。
ユミルが見たかったのは「愛しているからこそ手放す」という選択だった。愛の反対は憎しみではなく執着だ。ユミルの愛は執着だった。ミカサの愛もまたエレンへの執着に近かった。しかしミカサは最後の瞬間、その執着を断ち切った。エレンを愛しながら、エレンを止めた。この「愛を持ったまま手放す」行為が、ユミルを2000年の呪縛から解放したのだ。
エレンはなぜミカサに「自分を殺す」役割を託したのか
エレンは未来の記憶を持っていた。ミカサが自分を殺すことも知っていた。そしてそれを受け入れた。なぜか。エレンにとってミカサは「最も自分を愛してくれる人」であると同時に「自分を止められる唯一の人」だったからだ。
139話のエレンの告白——「ミカサに男ができるなんて嫌だ、死んだ後も10年は引きずってほしい」。この醜い本音は、エレンが「自由の象徴」ではなく一人の19歳の少年であることを暴露した。賛否両論を呼んだこの場面だが、エレンの人間としての弱さを描いたからこそ、「完璧な自由の体現者」ではないエレンの選択が悲劇性を帯びる。
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「マフラーを巻いてくれてありがとう」の意味
エレンがミカサに初めてマフラーを巻いた場面は、二人の関係の原点だ。ミカサにとってマフラーはエレンとの絆の象徴。最終話でミカサは墓前にマフラーを巻いて佇む。そしてやがてマフラーを外し、新たな人生を歩み始める。
マフラーを外す行為は「エレンを忘れる」ことではない。「エレンへの想いを抱えたまま、前に進む」ことだ。ユミルが2000年間手放せなかったものを、ミカサは手放した。正確には、手放すのではなく「心の中に置いたまま前に歩く」ことを選んだ。愛は消えない。しかし愛に縛られる必要もない。これがミカサの、そしてこの物語の最終的な回答だ。
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「ミカサの選択」が進撃の巨人を完結させた理由
進撃の巨人の結末に対しては様々な評価がある。しかし「ミカサの選択」が物語の構造上、完璧な結末であることは指摘しておきたい。物語のテーマは「自由」だった。そしてその対になるテーマが「愛と執着」だった。ユミルの執着が巨人の呪いを生み、ミカサの愛がそれを解いた。
諫山創は「最強の力」でも「知略」でもなく「愛の在り方」で物語を閉じた。暴力で始まった物語が、暴力では解決できない問題に行き着く。その答えが「愛する人を愛したまま手放す」という、一見矛盾した行為だった。進撃の巨人はバトル漫画の皮を被った、愛についての物語だったのだ。


