「悟空はダメ親」説の根拠
悟空がダメな父親だと言われる根拠は枚挙にいとまがない。セルゲームで悟飯を前線に立たせ、魔人ブウ編ではあの世から7年間帰ってこなかった。超ではベジータが「ブルマの出産に立ち会う」と言っている横で修行を続け、力の大会に宇宙の命運がかかっている時も楽しそうに戦っていた。
特にセルゲーム。悟飯がスーパーサイヤ人2に覚醒する展開は少年漫画として最高の盛り上がりだったが、冷静に考えれば父親が11歳の息子に「おまえなら勝てる」と戦わせたのだ。セル編のピッコロの「悟飯は戦いが好きなお前とは違う!」という叱責は、読者の代弁でもあった。
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サイヤ人の本能を考慮すべきか
悟空はサイヤ人だ。この事実は悟空の父親としての評価に大きく影響する。サイヤ人は戦闘民族であり、強い相手と戦うことが生存本能レベルで刻み込まれている。悟空の「もっと強い奴と戦いたい」は、人間で言えば「呼吸したい」に近い衝動なのかもしれない。
ベジータが超でようやく「家族を守る」方向に変化したのは、ベジータが元々王族であり「守るべきものの概念」を持っていたからだ。一方の悟空は赤ん坊の頃に地球に送られ、じいちゃんに育てられた。家族の形を教わる機会が少なかった悟空にとって、チチと悟飯は「大切な人」であっても「守り方がわからない存在」なのではないか。
悟空なりの「愛情表現」を読み取る
セル編で悟空が悟飯にセンズを渡さなかったのは、悟飯の潜在能力を信じていたからだ。ナメック星で悟飯がフリーザに立ち向かった姿、精神と時の部屋での修行で見せた成長──悟空は悟飯の力を誰よりも正確に測っていた。結果として悟飯は勝った。方法は極端だったが、悟空は息子を信じていた。
超でも悟空は悟天に対して驚くほど自然体で接している。厳格な父親ではないが、悟天と遊ぶ時の悟空は心から楽しそうだ。鳥山明が描く悟空の父親像は、現代の「理想の父親」とは程遠い。だがそれは鳥山が「父親の理想像」を描くつもりがなかったからであり、悟空というキャラクターの自然な姿なのだ。
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ベジータとの父親対比
超においてベジータの「父親力」は大幅に上昇した。ブルマの出産に立ち会い、力の大会ではトランクスとブラを守るために戦った。ビルスに「俺のブルマに何しやがる!」と激怒するシーンは、サイヤ人の王子が地球で得た「守るもの」の重さを表現している。
悟空とベジータの父親としての違いは、結局のところ「自覚」の差だ。ベジータは意識的に「良い父親になろう」としている。悟空はそもそもそういう発想がない。だが悟空は家族が本当に危機に瀕した時、必ず駆けつける。ナメック星で悟飯が殺されかけた時のスーパーサイヤ人覚醒は、父の愛以外の何物でもなかった。
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結論:悟空は「悪い父」ではなく「変わった父」
悟空を現代の育児基準で評価すれば間違いなく落第だ。だが悟空は現代の父親ではない。別の惑星出身の戦闘民族が、地球の山奥で育ち、偶然出会った女性と家庭を持った。その前提を踏まえれば、悟空なりに家族を大切にしていると解釈するのが自然だ。
鳥山明は「悟空は良い奴だけど良い人間ではない」と語ったことがある。この言葉がすべてを物語っている。悟空の父親としての不完全さは作品のテーマそのものだ。完璧なヒーロー像から逸脱した「人間くさい(サイヤ人くさい)」主人公。それがドラゴンボールの悟空であり、だからこそ世界中で愛されている。


