分岐点はどこだったのか
2003年版アニメ「鋼の錬金術師」は、原作が月刊少年ガンガンで連載中にスタートした。当時の原作ストックは約10巻程度。序盤のリオール編、タッカー事件、ニーナ事件、ヒューズの死あたりまでは原作をほぼ忠実にアニメ化しているが、そこから先は原作が追いつかないためオリジナル展開に入った。
大きな分岐点は「ホムンクルスの成り立ち」だ。原作ではお父様が自分の感情を切り離してホムンクルスを作ったが、2003年版では「人体錬成に失敗した結果生まれた存在」に変更されている。この変更が物語全体の方向性を根本的に変えた。
2009年にスタートしたBROTHERHOOD(FULLMETAL ALCHEMIST)は、原作が最終盤に入ったタイミングで制作された。全64話で原作全27巻・全108話を最初から最後まで映像化している。序盤は2003年版と重複するため駆け足気味だったが、中盤以降は原作の展開を丁寧に描いた。
つまり、同じ「鋼の錬金術師」でありながら、二つのアニメは全く別の作品と言っていい。片方はスタッフの独自解釈、もう片方は荒川弘の原作を忠実に再現。比較することで両方の面白さが見えてくる。
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ホムンクルスの設定──根本的な違い
原作とBROTHERHOODでは、ホムンクルスはお父様の感情の分身だ。プライドもエンヴィーもグリードも、お父様が「不要」と判断した感情から生まれた。だから人間との関係は「支配者と道具」に近い。ホムンクルスは人間を見下し、自分たちを上位の存在だと考えている。
特にスロウスの扱いが象徴的だ。原作のスロウスは巨大で寡黙な怠惰の権化だが、2003年版のスロウスはトリシャ・エルリックの面影を持つ女性で、エドとアルの前に母の姿で立ちはだかる。兄弟が「母を殺す」ことを迫られる展開は、原作にはないタイプの残酷さだ。
どちらの設定がいいかは好みの問題だが、2003年版は「人体錬成のリスク」をより個人的で感情的に描いている。原作版は「七つの大罪」という普遍的なテーマでホムンクルスを括ることで、物語のスケールを大きくしている。アプローチが正反対なのに、どちらも説得力がある。
同じキャラクター名で全く異なる存在を描けてしまうのは、原作の「骨格」が強固だからだ。
ストーリー展開の比較──中盤から終盤へ
原作とBROTHERHOODの中盤以降は、シンの国からリン・ヤオやメイ・チャンが登場し、物語のスケールが一気に拡大する。お父様の「国土錬成陣」計画が明かされ、アメストリスという国自体がお父様の実験場だったという真実が判明する。この壮大な展開は2003年版には存在しない。
2003年版の中盤は、ダンテという原作にいないキャラクターが黒幕として登場する。お父様の代わりに賢者の石を求める錬金術師で、ホーエンハイムの元恋人という設定。原作の「国家規模の陰謀」に対して、2003年版は「個人的な欲望」にフォーカスした物語になっている。
原作は「一人の錬金術師 vs 世界を飲み込もうとする存在」という少年漫画王道のスケール感。2003年版は「人間の業と向き合う」ことに重点を置いた、より内省的な構成。どちらも「鋼の錬金術師」として成立しているのが面白い。
戦闘シーンの質も違う。BROTHERHOODはボンズの高い作画力で原作のアクションを忠実に再現し、特に最終決戦のエド vs お父様は圧巻。2003年版は戦闘よりも心理描写に尺を割く傾向があり、アクション面ではBROTHERHOODに軍配が上がる。
ただし、2003年版の「間」の取り方は独特の味わいがある。タッカー事件やニーナのエピソードは2003年版の方が丁寧に描かれており、初見のインパクトは2003年版の方が強いという声も多い。
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結末の比較──「等価交換の答え」vs「異世界への放逐」
原作(BROTHERHOOD)の結末はご存知の通り。エドが真理の扉を代価にアルの肉体を取り戻し、等価交換を超える答えを示す。仲間たちとの再会、復興への歩み、ウィンリィへのプロポーズ。大団円であり、全108話の物語を美しく締めくくる。
原作/BROTHERHOOD:エドが真理の扉を代価にアルの体を取り戻す。錬金術を失うが人間として生きる道を選ぶ。ウィンリィにプロポーズ。希望に満ちた大団円。
2003年版:エドは「門の向こう側」=現実世界(1920年代のヨーロッパ)に飛ばされる。アルは元の体に戻るが兄の記憶を失う。兄弟は別々の世界で生きることになる。
2003年版の結末は賛否が分かれた。「門の向こう側」が現実のヨーロッパだったという展開は大胆すぎるとも言われたが、「錬金術のエネルギー源は別世界の人間の死」という設定は等価交換のテーマを究極まで拡張したものだ。エドが戻れない世界で生きるというビターエンドは、2003年版の一貫したダークトーンに合致している。
原作は「等価交換を超える」で終わり、2003年版は「等価交換の犠牲になる」で終わる。同じ原則に対して真逆の答えを出しているのが面白い。
劇場版「シャンバラを征く者」で兄弟は再会するが、二人とも現実世界に留まるという選択をする。ハガレンの世界に戻れないという結末は、原作の大団円とは対照的に「何かを得れば何かを失う」等価交換を最後まで貫いている。
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どちらを見るべきか──そして原作の偉大さ
結論から言えば、両方見るのが正解だ。しかしどちらか一つなら、まずBROTHERHOODをおすすめする。荒川弘の原作全27巻の魅力をストレートに味わえるし、海外の評価サイトで長年トップに君臨する実力は伊達ではない。
2003年版はBROTHERHOODを見た「後に」見ると、その独自性がより際立つ。「同じ設定でこんなに違う物語が作れるのか」という驚きがある。特にホムンクルスの描き方と結末の違いは、原作を知った上で見ると新鮮だ。
二つのアニメが高い評価を得ているという事実そのものが、荒川弘の原作の強度を証明している。テーマもキャラクターも世界観も、アレンジに耐える堅牢さを持っている。どの角度から切り取っても面白い。それは原作の設計が「幹」と「枝葉」を明確に区別しているからだ。等価交換というテーマ、エルリック兄弟の絆、国家と個人の対立──この「幹」さえブレなければ、枝葉はいくらでも変えられる。
全108話の原作が到達した場所。64話のBROTHERHOODが映像化した力。51話の2003年版が独自に掘り下げた深み。三つの「鋼の錬金術師」は、それぞれが異なる輝きを持つ宝石だ。比較することに意味があるのは、どちらが優れているかではなく、荒川弘という作家の器の大きさを知るためだ。



