呪術廻戦の最終回を振り返る
2024年9月、週刊少年ジャンプ連載271話をもって呪術廻戦は完結した。最終回は読者の間で賛否が大きく分かれた。「もっと描いてほしかった」「あっさりしすぎる」という声がある一方で、「芥見先生らしい終わり方」「テーマに一貫していた」という評価もある。SNS上では完結直後にトレンド1位を獲得し、数日にわたって考察議論が続いた。
結論から言えば、呪術廻戦の最終回は「正しい死に方」というテーマの完遂だったと考えられる。それを理解するには、物語全体を通して描かれた「死」の扱いを振り返る必要がある。第1話で虎杖が宿儺の指を飲み込んだ瞬間から、この物語は「死をどう受け入れるか」という命題を読者に突きつけ続けた。
「お前は強いから、人を助けろ」(虎杖の祖父)
この祖父の遺言が、虎杖の全行動を貫く軸となった。最終回で虎杖が「普通の人間」として生きる道を選んだのは、彼なりの祖父の遺言への回答だったのだろう。呪術師としてではなく、一人の人間として人を助け続けること。それが虎杖悠仁の出した答えだ。
ファンコミュニティでは「バトル漫画としての決着が不十分」という批判もある。確かに、宿儺戦後の展開はかなり圧縮されており、各キャラクターのエピローグが駆け足だった印象は否めない。しかし芥見先生が描きたかったのは「勝利の快感」ではなく「生き残った者の日常」だったと考えれば、あの淡々とした最終回にも納得がいく。
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「正しい死」という一貫したテーマ
呪術廻戦は第1話から「正しい死」を問い続けた作品だ。虎杖の祖父は「大勢に囲まれて死ね」と遺言を残した。この「正しい死に方」は虎杖の行動原理となり、物語全体のテーマとなった。注目すべきは、この「正しい死」の定義がキャラクターごとに異なるという点だ。
「後は頼みます」(七海建人)
七海建人の最期は、第120話で描かれた。真人に致命傷を負わされながらも、最後の瞬間に虎杖に「後は頼みます」と託した。サラリーマンから呪術師に戻った七海にとって、「次世代に何かを託す」ことが彼の「正しい死」だった。労働に疲れ、マレーシアに逃げようとした男が、最後は自分の意志で戦場に立ち、後進に道を繋いだ。この生き様は多くの社会人読者の心を打った。
東堂葵の「最高の青春だった」(第133話)、禪院直毘人の「最後の一秒」(第152話)、そして五条悟の最期の笑顔。呪術廻戦のキャラクターたちは、それぞれの「正しい死」を全うしていく。芥見先生は死を「悲劇」としてだけでなく、「その人間の生き方の集大成」として描いた。
最終回で虎杖が生き残ったのは、彼にとっての「正しい死」がまだ先にあるということなのだろう。祖父の遺言通り「大勢に囲まれて死ぬ」ためには、まず大勢との関係を築かなければならない。孤独に始まった虎杖の物語が、人との繋がりを得て終わる。これは「正しい死」の前提条件としての「正しい生」の物語でもあった。
ファンの間では「虎杖は呪術師を辞めたのか、それとも続けているのか」という議論がある。最終回の描写はあえて曖昧にされているが、虎杖がどちらを選んでも「人を助ける」という軸はブレないというのが、この物語の到達点だろう。
五条悟の死が意味するもの
作中最強の呪術師・五条悟が宿儺に敗れた展開は、第236話で描かれ、多くの読者に衝撃を与えた。しかし、これは芥見先生が当初から描こうとしていた構図だろう。五条は「最強であるが故に孤独」な存在として描かれ続けた。0巻の時点で乙骨に「たった一人で呪術界を変えようとしていた」と語られている。
「大丈夫、僕最強だから」(五条悟)
この台詞は作中で何度も繰り返される五条の代名詞だが、読み返すと「最強であること」が五条にとっての祝福であると同時に呪いだったことがわかる。対等に語り合えた唯一の親友・夏油を失い、封印され、復活後も「最強」として戦い続けるしかなかった。五条の孤独は、第236話の「南の島」のシーンで痛いほど伝わってくる。死んだ仲間たちと穏やかに過ごす五条の姿は、彼がどれだけ「普通の人間関係」に飢えていたかを物語っていた。
五条の死後、虎杖たちは「五条がいなくても戦える世界」を作ることになった。これは五条自身が望んでいたことでもある。教え子たちが自分を超えていく。最強の師匠が退場することで、次世代が本当の意味で自立する。少年漫画の定番だが、呪術廻戦はそれを最も残酷で美しい形で描いた。第236話直後の読者の阿鼻叫喚は、五条というキャラクターがいかに愛されていたかの証明だ。
「愛ほど歪んだ呪いはない」(五条悟)
五条が夏油に対して向けた感情、教え子たちへの期待、そして宿儺との戦いに見せた喜び。五条悟の人生は「愛」と「呪い」が表裏一体であることを体現していた。彼の死は悲劇であると同時に、彼自身にとっては「やっと休める」という解放でもあったのかもしれない。これほど複雑な感情を読者に抱かせるキャラクターの死は、少年漫画史でも稀有だ。
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宿儺というヴィランの完成度
両面宿儺は「理由なき悪」として徹底されたヴィランだ。同情の余地がなく、改心もしない。ただ強く、ただ自由に、自分の欲望のままに生きた。第3話で虎杖の体を乗っ取り一般人を殺した瞬間から、宿儺は一貫して「悪」であり続けた。
これは他の少年漫画の悪役とは一線を画している。NARUTOの長門もオビトも最後は改心した。鬼滅の刃の鬼舞辻無惨は醜く死んだ。しかし宿儺は最後まで宿儺のままだった。彼にとっての「正しい死」は、最強として戦い抜くことだった。宿儺は悪に「理由」を持たせないことで、逆に圧倒的なカリスマ性を獲得した。悪であることに理由が要るのは人間の論理であり、宿儺はそもそも人間の枠組みの外にいる存在なのだ。
第238話で描かれた宿儺の過去回想は最小限に留められた。平安時代に双子として生まれ、片方を喰らい、ただ強さだけを追求した。芥見先生はあえて宿儺に悲しい過去を与えなかった。ファンの間では「宿儺にもっと深い動機があるのでは」という考察が長く続いたが、最終的に宿儺は「ただの暴力」として完結した。
興味深いのは、宿儺が虎杖との最終決戦で微かに見せた「感情」だ。第265話で虎杖の拳が宿儺に届いた瞬間、宿儺の表情にわずかな驚きが描かれた。これを「宿儺なりの承認」と読むか「単なる驚愕」と読むかで、ファンコミュニティの意見は二分されている。しかしどちらの解釈でも、宿儺が作品テーマの説得力を高めるヴィランとして完璧に機能したことに変わりはない。
宿儺と五条の関係もまた「呪い」だったと言える。1000年の時を超えて出会った二人の最強は、互いにとって「唯一の対等」だった。宿儺が五条との戦いを楽しんでいた描写は、彼もまた孤独だったことを示唆している。ただし、それを「孤独」と呼ぶのは人間の感傷であり、宿儺はそんな感情すら超越していたのかもしれない。
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呪術廻戦が残したもの
呪術廻戦は「完璧な作品」ではないかもしれない。終盤の展開にはご都合主義的な要素もあったし、描き切れなかったキャラクターもいる。死滅回遊の途中から展開が加速しすぎた感は否めず、秤金次や鹿紫雲一といったキャラクターのポテンシャルが十分に発揮されたとは言い難い。
しかし「正しい死に方」というテーマへの一貫した姿勢は最後まで崩れなかった。全271話、30巻を通して、芥見先生はこのテーマから逃げなかった。主要キャラクターの死を安易なショック演出にせず、それぞれの「生き方の帰結」として描き切った手腕は見事というほかない。
「俺は不平等に人を助ける」(虎杖悠仁)
虎杖のこの宣言は、少年漫画の主人公として異質だ。「皆を助ける」ではなく「不平等に助ける」。完璧なヒーローではなく、自分の手が届く範囲で、自分の基準で人を助ける。この現実的なヒーロー像は、現代の読者に強く響いた。
芥見先生が影響を受けたと公言するBLEACH、HUNTER×HUNTER、うずまきなどの作品のDNAを受け継ぎながら、「現代の呪い」を描いた唯一無二の作品。呪術廻戦はバトル漫画のフォーマットで「人はどう死に、どう生きるべきか」を問い続けた作品として、2020年代の少年漫画を代表する一作だ。完結した今だからこそ、第1話から通して読み直す価値がある。271話の旅路の果てに、虎杖の祖父の遺言が全く違う重みで響いてくるはずだ。


